愛知県知多郡武豊町の武雄神社では9月に「名月祭」があります。
毎年、多くの皆さまに名月祭の賑わい行事「観月祭」に足を運んでいただいています。
今でこそ賑わい行事がございますが、一昔前の名月祭は祭典のみでした。
当日は参列者、参拝者はおらず、武雄神社の代々の宮司が社殿にて祝詞の奏上のみを執り行う、それが武豊町の名月祭だったのです。
では、なぜその名月祭に再び賑わいが戻ったのか。
その背景には、
・先代宮司の想い
・武雄神社に納められている和歌
・武豊町民の皆さま
・商工会青年部のメンバー
この4つの存在が深く関わっています。
(※正式な名称は「名月祭」が武雄神社本殿での祭典、「観月祭」が武雄神社境内で行われる賑わい行事です。本記事では便宜上、以降は「名月祭」で統一します)

愛知県の秋祭り|武雄神社「名月祭」の始まりと消滅

それではまず愛知県知多郡武豊町の秋祭り、武雄神社の名月祭の歴史をお話します。
武雄神社の名月祭がどのように始まり、消滅してしまったのか。
出来るかぎり、わかりやすくお伝えしていきます。
武雄神社「名月祭」の始まり

愛知県の秋祭り武雄神社の名月祭は、もともと武豊町の旧長尾村の大御祭でした。
大御祭(おおみまつり)とは読んで字のごとく、年に一度の規模の大きな御祭です。
中秋の名月(旧暦8月15日)の日。
武雄神社から御神輿(おみこし)一台と御山車(おくるま)一輌が出発し、神宮社、津島神社を経由して、八幡社で一泊。
翌日に御神輿と御山車は八幡社を出発して、津島神社、神宮社を経由して武雄神社に戻ってきます。
参列者が2日間かけて御神輿と御山車とともに各神社をお参りするので、当時の名月祭は相当な規模でした。
残念ながら、武雄神社の名月祭の始まり、いつ頃から始まったのかは定かではありません。
現在確認できる資料で明確になのは、江戸時代の中期にはすでに武雄神社は名月祭を行っていたということ。
この事実は武雄神社の本殿に納められている和歌が教えてくれています。
「八雲立つ 出雲武雄の猛々し 身に澄み渡る 月詠之森(やぐもたつ いずもたけおのたけだけし みにすみわたる つきよみのもり)」
武豊町の名月祭が行われていた武雄神社の境内の光景を詠んでいる和歌です。(月詠之森が武雄神社です)
この和歌が詠まれたのが江戸時代の中期。
そのためこの頃から武雄神社の名月祭はすでに存在していたことがわかります。
武雄神社「名月祭」の消滅

規模がこれほど大きかった御祭、武雄神社の「名月祭」。
それなのに、なぜ消滅してしまったのか。
厳密に言えば、武雄神社の名月祭は消滅してはいませんでした。
正しくお伝えすれば、時代とともに御祭の規模が徐々に小さくなったのです。
奉納されていた御神輿と御山車は次第に夏祭りに移行して、秋の名月祭で奉納されなくなります。
その流れで境内の賑わい行事(現在の観月祭)も少しずつ縮小され、いつの間にか完全に消滅。
そして秋の名月祭は御神輿と御山車の奉納もない、先祖代々の宮司が祝詞を奏上する祭典のみになりました。
武雄神社の名月祭が復活するまでの話

祭典のみになってしまった愛知県の秋祭り武雄神社の名月祭。
再び名月祭に賑わい行事が復活したのは平成26年(2014年)です。
江戸時代に賑わっていた武豊町の名月祭を町民の多くの皆さまにも知ってほしい、そして何より楽しんでほしい!
そんな想いで私は境内行事の催しを決断。
しかしながら当然、規模が規模なだけに私一人で復活させられません。
江戸時代のような境内行事もある武雄神社の名月祭が復活するまでには多くの人たちの手助けがありました。
武豊町民の皆さま

まず以て、多くの武豊町民の皆さまに背中を押していただきました。
ありがとうございます!
そして、当時それぞれの区会関係者様たちからも色々なご意見をいただきました。
消極的な意見はなく、どれもが前向きだったので、名月祭が滞りなく、めでたく開催できたのは当時の区会関係者様たちのお力添えのおかげです。
その他、各種団体様にもご支援、ご応援いただきました。
・区会
・各区の祭礼関係者様
・消防
・農協
・商工会
・消防
・観光協会
・ライオンズクラブ
・敬神婦人会
・地元の同級生たち
この場をおかりして、改めて感謝を申し上げます。
先代の宮司

先代の宮司(私の父親)の存在がなければ、名月祭は復活していなかったと思います。
生前、先代の宮司は私が小学生のころから「江戸時代は武雄神社でも8月に御山車の奉納があったんだよ。今は4月だけなんだけども…いつか8月の奉納も復活させたいな」とよく言ってました。
そのため私の耳にずーっと残っていたのですが、なかなか名月祭は復活しませんでした。
なぜなら先代の宮司は日々の祭務で忙しく…
私は祭務だけでなく、商工会青年部の仕事で手一杯だったからです。
・ふるさとまつり
・産業まつり
・マラソン
当時、私は武豊町のこれらの行事運営に携わっていました。
「神主がそんなことしなくても…」
このような指摘がありました。
でも私は武豊町民でもありますし、なにより生まれ育った町に御返しがしたかったのです。
子どもの頃、ふるさとまつりが楽しみで開催期間中は二日とも行ってましたし、産業祭りは子ども会のソフトボールの帰りに必ず寄っていましたし、マラソン大会にも参加して、たしか子供の部で学年2位になったこともあります。(今の体型からは想像できないかもしれませんが笑)
大人になり、かつて遊びにいった行事を設営する側になったんだな~と思いながら、一生懸命、恩返しのつもりで活動していました。
それ以外にも町の若手として色んな行事のお手伝いをさせていただいていたため、毎日が多忙で、名月祭の復活は頭の片隅にもなかったです。

その流れが変わったのは、町の周年事業。
周年事業該当年度の商工会青年部責任者から相談があり、私が担当になりました。
「民の立場から町の周年を祝う。何をすれば町民の皆さんは喜んでくれるのかなぁ〜」
考えても考えても良いアイデアは思い浮かびません。
事務所のパソコンの前で頭を抱える日が増えていきました。
そんな情けない姿を見かねたのか、先代の宮司が唐突に和歌を詠んだんです。
「八雲たつ 出雲武雄の猛々し 身に澄み残る 月詠みの森」
この和歌は200年ほど前の名月祭の光景を詠んだもので、武雄神社の本殿に納められています。
先代の宮司は和歌を詠んだ後、私に声をかけることはなく、ふら〜っとどこかに行きました。
「え?意味わからないけど」と思うかもしれません。
でも、私にとって最高のヒントでした。
町の周年行事とは武豊町民のための行事、そして武雄神社の御祭も武豊町民のための行事です。
「そうか、名月祭を復活させたらいいんだ!」
先代の宮司が和歌を詠んで、ふら~っとどこかに行った瞬間、すぐに名月祭のアイデアが舞い降りてきました。
今思えば、先代の目には名月祭の復活が見えていたのかもしれません。
武豊町商工会の青年部

名月祭復活のきっかけが先代の宮司だとすれば、名月祭復活のチャンスをいただいたのは、紛れもなく武豊町商工会の青年部です。
武豊町商工会の青年部のメンバーが賛成してくれたから、私が町の周年事業の運営担当者になれました。
感謝しかありません、ありがとうございます。
でも実は当時、青年部の責任者は私に新しい行事ではなく、既存行事の運営担当者になってほしいと思っていたそうです。
私が神主として各種行事の安全祈願をしていたこと、私が小さい頃から楽しみに参加していたことを知っていたため既存行事の更なる進化を期待していたのだと思います。
だからなのか私が周年行事に名月祭を提案したとき、青年部メンバーの反応はイマイチでした…
「新しい行事を作るのも大切だけど、既存行事を守るのも大切だろ?」
私が提案した時、青年部のメンバーはこんな風に思っていたのかもしれません。
当然、今までの既存行事を守りたい気持ちは私にもあります。
既存行事を積極的に手伝っていたのも後世に繋げたい一心でした。
でも、既存行事を守るだけより新たな行事を生み出すほうが大切だと思います。
なぜなら著しく変わる環境に寄り添った新たな行事があれば町民同士の交流は継続できますし、何より新しい行事があるからこそ今までの行事も継続されていく一面もあるからです。

その想いを胸に足重く説得するうちに、一人また一人と青年部のメンバーは賛同し、力を貸してくれました。
運営の詳細まで手が回らなかった私の代わりに、設営の設計図を書いてくれたり、椅子や受付を設置してくれたり、当日の受付係や交通誘導、蚊取り線香を買ってきてくれたりと、
青年部メンバーらしく、それぞれの強みを活かして、名月祭を盛り上げてくれました。
また青年部になかなか顔を出せないメンバーたちも参加して、あれほど積極的に手伝ってくれたのは嬉しかったです。
武豊町商工会の青年部のメンバーの協力があったからこそ、名月祭に参加した多くの方からお褒めの言葉をいただけました。
これからの武雄神社の名月祭

武雄神社の名月祭の賑わい行事は江戸時代に消滅して、200年後の今、復活いたしました。
これからの武雄神社の名月祭は江戸時代の雰囲気だけでなく、今の時代の雰囲気も積極的に取り入れていきます。
お囃子や神輿だけではなく、音楽祭や朗読会なども行う予定です。
名月祭の古き良き部分を継続しつつ、200年ぶりに復活したのだから、現代の想いも加わった新たな名月祭として、生まれ変わった伝統として後世に繋げていく
そんな想いで名月祭を斎行していきます。
また、地域の活性化に繋がるように地元の伝統文化施設、各種団体、事業者とより協力していきたいです。
地元の商店街の皆さまに声をかけて、出店やキッチンカーを出していただいたり、子どもたちにもっと武豊町を好きになってもらえるよう様々な壁を乗り越えて、武豊町内の施設を巡るウォークラリーを企画したりと。
ゆくゆくは名月祭ではなく、「愛知県の秋祭り」と皆さんに思ってもらえる、そんな御祭にします。
そのためには引き続き、武豊町の町民の皆さまをはじめ、各種団体様のお力添えが欠かせません。
どうか引き続き、よろしくお願いいたします。

